涙を乾かしながら
OAOは普遍では無かったか。
一人のために描いた夢を誰かに使い回すのか。
ただ歌いたい歌を歌っていただけなのに、何故だかそれらは彼女のことを歌っているようだった。
9月3日の唄。
そして震災の唄さえも。
あの夏の暑い日に聞いた時は、正に自分の歌であるように聞こえたが、東京の恋人はandyに始まりリリーに終わったし、地元の父母は遠くへ行ってしまった。
九州のお客さんは担当が変わって優しく微笑んだ。境港には元々同胞など居ない。
誰かの支えになれば生きているつもりにでもなっていたのか?お前自身の生きる理由は?
母親が死んだら生きる理由がなくなると言ったあいつの潔さは、美しかった。
君のように美しくありたかったんだ。