最大の親不孝(と、一般的に言われているもの)を回避した私は、気付けば時間の使い方や物事の向き合い方、価値観までも変わってしまったようで。
過去を振り返るのに、iPhoneのアルバムを省みることは最適だ。便利な世の中になったものだ。
しかしそのアルバムの中の記憶を辿っていくと、何故私はあの時あのような行動をとったのか理解に苦しむのである。
成長か老化か、自立か保守か。
感情の衰退は未だ歯止めがきかず、自己が他者に変化していく感覚すら残る。
ここに戯言を記す頻度が減ってきていることも、証拠の一つとなるだろう。
長い深いモラトリアムは、完全に終わったということか。