本当の音
俺以外の全ての奴らは皆すべからく幸せになってくれ
願うはそれだけ
俺自身はいつ死のうが知ったこっちゃない
ただ、あいつらは幸せに
親愛なる
高校時代の現国の先生は言いました。
自殺する人は、死にたいから自殺するのではない。生きたいから自殺するんです。
なるほど、当時は意味不明だったが
15年経った今となっても意味不明だ。
強い言葉は叩かれる世の中だが、本当に叩くべきは弱い心なのではないか。
30年生きてて本気で死にたいと思ったことは一度もないが、そういう心の強さが周りから異端に見えてしまうらしい。
ならいっそ、全てを蹴散らせ。
絆も繋がりも、個のチカラの前では無であることを己が証明しろ。
だから、お前はそれを見届けるまで生き続けろ。
公園を歩くこと
小学生の頃は、狭い敷地に飼い慣らされていたくせにして、まるで毎日が冒険のようだった。
そこらに落ちた木の枝を剣に見立てて、自分は勇者であることを疑わなかった。
たかだか半径数百メートルの世界は毎日が輝いていた。
現在。
行動範囲は数百倍に膨れ上がったはずなのに、毎日が飼い慣らされている気分だ。
冒険とはリスクを伴うもの。
剣とは他人を傷つけるもの。
勇者とは、空気の読めない変わり者。
そんな思想に支配されてしまった。
共に冒険した仲間たちはバラバラの人生を送っているらしい。ヒロイン役のあの子はもう母親だ。
公園を歩くことのように簡単だと思われていたことは、思っていたより難しい。
ここからは、不器用な男の冒険譚となるのだ。
君がいた街
メモ帳と銘打ちながらも、半分は妄想の垂れ流しだったのも今は昔。事実は小説より奇なり。
責任者に問いただす必要がある。
責任者はどこか。
遠い街に住む彼女は、笑う。
俺はまた、わけのわからないこと言ってる街に行くことが出来なかった。
フィフティーン
成功者となってしまった彼は言う。
『行きたい島を見つけたら、どうにかして辿り着くよう努力するだけ』
私とは順序が逆だな、と思った。
私は先に水面に漂う術を決めてしまう。そしてその術で行き着く島を探している日々だ。
なら今、流れつこうとしている島は?
そこに上がるには、全てを捨て身軽にする必要があるのだ。
何となく行き着いたその島に、骨を埋める覚悟はあるのか?その価値は?
予想外れの曇り空で、隠れてしまった月を眺めながら。その島からもまた、同じように月を眺めながている一つもがいる。
そんな短文、呟くだけで充分なのに。
夏の春風
後悔が思い出に変わる時
あの曲が、失恋ソングではなくラブソングに聞こえた。本当によく出来たロジックだ。来世はミュージシャンではなく、政治家にでもなるといい。
桜並木の思い出は、文字に起こすと簡単だが
朝日に照らされたあの映像は、テラスから手を振っていたあの顔は、忘れるのは難しい。
たらたらたらたら
burn notice
人生とは地獄だ。
今さらながら、それに気付いた。
まともに生きるならまだこれが倍以上続くことになる。ならばいっそ終わらせるべきなのだろうか。
書くことで楽になるのであれば、書く。
それがリプライされずにリツイートされずに誰の目にも留まることもない戯言でしかないのなら、いっそその辺の紙クズに書き吐いて捨てても何も変わらないのだ。